2010年04月

私の通っている温泉施設に、
元プロ野球選手(かなり実績ある有名選手です)もたまに来ます。
 
次第に話をするようになり、
謙虚で気さくな人柄に触れております。
ドラフトは下位指名で、2軍から這い上がって活躍した選手でしたので、
おごる事がないのでしょう。
  
現在はその経験を活かし、
ジャイアンツの2軍コーチの仕事をされています。
才能ある選手を見出して欲しいと、
大いに期待をしています!
 
私にとって、プロ野球選手はいくつになっても「夢」。
そして、野球は一日の活力源です。
  
何か気分転換出来るもの、
熱くなれるものがあれば、
それを人生に置き換えて勇気に出来ます。
 
混迷・混沌する日本経済、
おもわずため息をつきたくなる時もありますが、
熱くなれる自分を明日へのエネルギーに変えて、
私も闘っていきます!

この4月で当社も“創業20周年”を迎えることができました。
 
 
本当にいろいろなことのあった20年でしたが、
これから21年目のスタートです。
 
 
これもひとえに、
お得意様をはじめ関係各位のご支援の賜物と深く感謝いたしております。
 
スタッフ一同これを機により一層の努力をいたし、
皆様のご厚情にお応えしたい所存でございます。
 
 
なにとぞ倍旧のお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます。
 
 
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株式会社エイディエスコーポレーション

2008年原監督胴上げパネルに、
小さな体で無邪気に飛び上がり原監督に触ろうとする背番号82
 
2009年日本一の胴上げでは、
歓喜の輪を感慨深げに見守る背番号0
 
そして今年は背番号を84とし
コーチという第二の人生を歩み始めたばかり
 
そんな、
木村拓也内野守備走塁コーチが
7日午前3時22分、くも膜下出血のためあの世に旅立った
 
原監督の下、
世界一のノッカーを目指した名バイプレーヤーは
思い出の広島で、
そして、古巣相手の戦場で倒れあの世に旅立った
 
バットを握り締め、前を向き倒れた脇役の最後は
まるで侍のようだった
 
昨年9月4日ヤクルト戦(東京ドーム)、
死球による退場などで巨人ベンチに捕手がいなくなり、
急遽10年ぶりにマスクをかぶってチームの危機を救った勇姿は、
今後も巨人の、そして日本プロ野球の語り草となっていくだろう
 
37歳、
無念はたくさんあるだろう
家族の悲しみははかりしれないものがある
 
そして、私達ファンは、一人の侍を永遠に忘れない
 
合掌

本年度もよろしくお願い申し上げます。
 
球春到来!プロ野球が開幕いたしました。
我がジャイアンツは少々もたもたしております。
そのうち調子は上げて来るとは思いますが、今年は投手陣が不安です。
他チームも戦力上げていますし、
ファン心理として、下馬評ほど余裕はありません。
 
元・プロ野球選手で、
「炎のストッパー」こと、津田恒美投手はご存知でしょうか?
1993年7月20日に悪性脳腫瘍の為に、
志半ばにしてこの世を去ったプロ野球選手です。
 
彼の座右の銘は「弱気は最大の敵」。
ピンチになればなるほど、
彼は変化球を要求する捕手のサインに首を振り、
自分が一番自信のある直球で打者に挑んでいきました。
彼のマウンドは男気で溢れておりました。
 
景気はいまだに停滞しております、
政治もあいかわらずの迷走ぶりです。
 
しかし、決して弱気にならず、ぶれず、前を向き闘いたいと思います。
 
 
追伸:
NEWS ZERO」の小林麻央キャスターが卒業し、
夜のニュースが少々寂しい私です(笑)
 

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